hkmaroのブログ

読書の感想など

バラードの『クラッシュ』を読んだ

小説の内容よりも序文の文章が良い。というか、序文を読めば小説のそのものは読まなくてもいいかもしれない。自動車の事故と性欲には密接な関係がある、ということをひたすら主張する小説である。技術と暴力と性のクロスポイントとして自動車の事故を扱ったということなのだろうが、それにしても描写が細かくてバラード自身自動車事故に何かフェティッシュな思い入れがあったに違いないと思う。

自動車事故、というのが現代的には逆にわかりにくいかもしれない。自動車はあまりにも日常的な技術になってしまい、暴力と性を結びつける技術とは必ずしも言えない。しかし我々現代人の性が高度な技術を前提にしているということは言えるだろうし、深く認識しなければならないこととして、高度な技術を踏まえた性が、さらなる技術を欲するという事情がある。

そしてその技術とは、たいてい秘匿されるが、非常に危うい前提の上に立っていて、その危うさが暴力的結果というアレテイアをもたらすのである。今回の地震によって誰の目にもそういう風に見えるようになったとは思うが、我々日本人のほとんどは、原発の問題など忘れて、というよりも知りもせずに毎日思いっきり電気使いまくりだったわけだ。一般に現在技術と呼ばれているものが、要するに諸規格の組み合わせを意味することを考えれば、むしろ技術を安全に運用できるという思い込みは危険である。社会的分業の中にあらゆる技術的成果物が依存しているということは、一つの技術を一から十まで完璧に把握している者が存在しないということだ。ということはつまり、専門家の言うことをちゃんと守って技術を使用したとしても、事故が起こる確率をゼロにはできないということになる。

ところで私は、バラードのように暴力と性をアクロバティックに直接接続するのではなくて、両者の間に経済産業的下部構造を挟むと、すっきり誰でも両者の関係を納得できるのではないかと思う。技術(及びそれの私的独占)が市場に君臨し貨幣の循環を活性化させ、それによって手にした金で人々が何をするのかというと、恋愛とセックスである。そして恋愛とセックスはさらなる金の循環を生み、市場が要請に答えて技術が変化し……というフィードバック構造があるように思う。もちろん恋愛とセックス以外にも人間は色々活動するものであるが、技術と性の関係について言えば上記のようなことは簡単に推測できるだろうと思う。