hkmaroのブログ

読書の感想など

日記

小室直樹が死んだらしい。また、はてブでは十代のうちに読んでおきたい本がどうしたとかで話題になっているらしい。十代のうちに読むべき本などない。十代のうちはたくさん遊ぶべきだ。遊びの一環に読書があるのならば本を読めば良い。若いころに遊んでいない人は大人になってから青春の取り返しのつかなさに気付いて愕然とするだろう。大人になってからではどうしたって挽回できないのだ。いくらお金持ちになっても、偉い人になっても、高校時代に女子にもてなかったという記憶は残る。大学時代に友達がいなかったという事実は消えない。しかし若いうちに遊ばなかったからといってその人の人生はそれで灰色というわけでもない。遊ばなかったのならその怨念を率直に表明したほうがよい。自己の怨念を怨念と認めることもできず、ジジババになってから青春を取り戻そうとすると良くない。若いころに思う様遊べなかった人の性格は大人になっても子供である。本こそジジババになってからゆっくりと読めばよい。心に銘記するほどいいことが書いてある本などこの世に一握りしかない。活字中毒者とは大して面白くもない本を惰性で読む人々のことだ。本の中毒になると大して価値のない本をあれもこれも読まなくてはならないという間違った思い込みにとらわれるようになる。読まなくてはならない本などこの世にはない。本を読まなくても頭を良くすることはできるし、人生において大切な教訓も人との対話か孤独な内省からしか得られない。本を読むことは人生において無駄なことである。何の役にも立たない。それを知らずに本を読む人は多い。本を読まない人ですら、本を読む人のことをえらいと思っている。実際はただの中毒患者である。現に本を読む人は一週間前に読んだ本の内容をもう思い出せない。一ヶ月たったら読んだのかどうかすら思い出せない。一年たったらまだ読んでないことになっている。三年後にまだ読んでいない本だと思い込んで購入し、読み始めてから失敗したことに気付く。無駄を享受することにおいてすら無駄を排除できないのが読書家である。政治にうるさい読書家はその中でもたちが悪い。家では読書しかしてないくせに政治について語ろうとする。政治的意思決定の現場に彼は一切参加できないのに、天下国家を語ろうとする。生活世界と思弁の世界が乖離している。ただ一つ例外なのは革命思想家である。革命思想家だけはどんどん本を読むべきだし、天下国家を大いに語るべきである。それ以外の人間が本を読んでもなんにも偉くないし、下手に褒めるべきでもない。単に本人が楽しんでいるだけだし、実際にはほとんどの場合で本人ですら楽しんでおらず惰性で読んでいる。世の中で真に偉いのは革命思想家だけである。革命思想家を助ける限りにおいてそのほかの人間も偉い。