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読書の感想など

『ねがいプラス!』の感想

横山忠著『ねがいプラス!』を読んだ。色々な要素に分解することのできる小説で、例えば悪魔っ娘との突然の同棲生活が始まるところなどは人外ラブコメであるし、複数のヒロインをそれぞれ攻略するという形式は現実虚構化もの(例えば最近だと『神のみぞ知るセカイ』や『ギャルゲヱの世界よ、ようこそ!』などがある)の特徴だし、主人公が作中でプレイするエロゲーの中で演じられた出来事が、現実世界にも繰り返して起こるという点はループものの特徴を備えているとも言えるし、主人公が日常の世界から殺し合いが普通に行われている非日常の世界へと巻き込まれていく様は虚淵玄的な殺伐ヒーローものの要素も含んでいると言えそうだ。その代わり各要素への不徹底ぶりは露骨である。雑なサンプリングという印象だ。この作品の基底にあるのはあくまでコメディであり、主人公の精神的な成長はほとんど描かれず、ひたすらミリタリーのオタク知識が披瀝されたり、作品世界内での権力闘争の模様が描かれたり、主人公がラッキースケベを体験したりするだけである。しかし、このお世辞にも文章が上手いともテーマ性があるとも言えない小説に対してあまり悪い感情を抱かないのは、とにかく主人公が行動するからだろう。主人公に行動力があるか否かという問題は、エロゲーの評価においては重要な評価基準である。エロゲー界隈においては、とにかく行動する主人公が是とされる。ラノベに比べて多少はインタラクティブ性があるからだという説明もなされるが、それよりもエロゲーにおいてはラノベと違って主人公=プレイヤーという関係性がより強力に仮構されるからだという説明もできる。しかしエロゲーマーが本当に主人公=プレイヤーという自覚のもとにエロゲーをやっているかどうかは怪しい。なぜなら現実のエロゲーマーたちはエロゲーの主人公たちのようにヒロインに過度の思い入れを抱いたりとか「放っておけないんだよ!」とかなんとか言って暴漢を蹴散らして助けたりとかするはずがないからだ。しかし主人公とプレイヤーを過度に完全に等号で結ぼうとするとエロゲーをやる意味自体がそもそも失われる可能性があるので(全く現実と同じ条件下でしか物語世界に没入できないのでは、そこにあるのはセカイ系的無力感だけだ。エロゲーマーはセカイ系の信奉者だけではない)、あまりうるさく言っても生産的ではない。話がそれたが、『ねがいプラス!』における「行動する主人公」の良いところは、エロゲーのご都合主義的展開にありがちな「放っておけないんだよ理論」が発動しないところである。主人公とヒロインがプロット上最初に濃密な関係性を結ぶ場面で、安易なライターはこの「放っておけないんだよ理論」を行使してしまう。放っておけない、などと言ってしまったらこの世の全ての問題は放っておけないのであり、年頃の娘の悩み事を解決してあげたりする前に自分の問題こそが放っておけない問題として厳然とあるはずである。その自分の問題との必然的なかかわりの上でヒロインと関係を結ぶのであれば、それこそ無理のない物語展開といえるのだが、割と名作とされるエロゲーですらもヒロインとの接点作りの段階で「放っておけないんだよ理論」を使ってしまっていたりしたような気がする。たしかに主人公はプレイヤーの分身であらねばならないので、主人公自身の固有の問題は描きにくいのだが、そこで「放っておけないんだよ!」の台詞一言で女のケツをおっかける主人公には感情移入などできない。しかし『ねがいプラス!』の主人公はそのような台詞は一切吐かない。単純明快な性欲にのみしたがってヒロインの手助けをする。ヒロインを助けて幸せにすることによって、自らの性欲が満たされるという展望のもとでしか、つまり完全な打算というか自らの欲望に忠実な形でしかヒロインたちと関わらない。下手な正義感などは排除されていて、一応どんな読者であっても男性ならばそれなりにうなずけはしなくとも、想像して理解はできる行動原理だ。このようにこの小説において主人公が成長しないのは主人公に反省すべき自意識というものがないからであり、これはこれで開き直りぐあいが気味が悪く大人びた高校生だという印象である。というか露骨に言えばオッサンが性欲というおよその男性に共通の欲望を媒介して中高生向けの小説を無理して書いた、という感じがする。私ももう高校を卒業して十年くらい経つので、それでなのかどうかわからないがまあそれほど悪い感じはしない。しかし作者はまだ三十台前半らしいが、まだこういう小説を書いちゃだめなんじゃないか。まだ青春小説的方面で頑張って中高生の興味をひきつけるべきなんじゃないか。もっと本当にオッサンの作家が書いたほうがいいような類の小説だ。横山忠さん、大丈夫ですか。もっと時代が下ってラノベが自意識垂れ流しな小説だらけになったら、そのときはこういう本はパンクな小説として持ち上げるべきだと思う。というか私が知らないだけで、ラノベ界隈の一部では自意識垂れ流し小説が蔓延しているのかも知れない。そういうものに対するカウンターとして存在しているのであればそれなりに価値はあると言えそうだ。