hkmaroのブログ

読書の感想など

ipadとかiphoneとか皆が使っていることに価値があるんだから、過渡的存在としてのみ利用すべきだと思う。

■アイパッドのせいでPCが売れない問題

http://www.gizmodo.jp/2010/09/windowsipadpc.html

これが本当ならかなりやばいんじゃないのかな。私もipadを持っているが、アイパッドは基本的に消費のためのアイテムなのであって、普通のパソコンみたいになにかアプリケーションを作ったりとか、あるいはアプリケーションを作るためのアプリケーションを使ってアプリケーションを作ったりということは基本的に不可能だ。何故そうなってしまうのか。appストアの存在が邪魔しているからである。appストアというのはアップルがアプリを検閲するためにあるのだから、この検閲を通して出てくるアプリには限界があるわけであって、それが皆が使っているという事実のみをあてにして幅を利かせているのが現状なわけだ。アイパッドなんかパソコンに比べたらできることは非常に限られている。これは以前からも言われていたことだ。アイパッドみたいなタッチパネル式のデバイスで、でも中身は普通にパソコンと同じOSが入っていて、普通にネット上にあるアプリケーションを自由にダウンロードしかつインストールできるデバイスが出てくればかなり良いと思う。そういうのが出たらアイパッドなんか売ってそっちを買う。

■ところで最近はRPGを作りたくなってきた。何か人生全体を貫くライフワーク的な事業をしてみたい。人間は仕事のために生きるのでもないし、金のために生きるのでもないし、家族のために生きるのでもない。自分のためですらないかもしれない。自分のために生きるということが何を意味しているのか、その言葉のみでは明らかではないからだ。聞けばフリーゲームの世界では製作に五年も六年もかける人がいるらしい。そういう事業をしたい。生きること(=ライフワーク)のために生きてみたい。もはや自分がクリエイター層に浮上するのは無理だと感じているし、今やってるようなクソ仕事をしている限り仕事からやりがいをえるなどということは無理だし(ドラッカーの『マネジメント』には、仕事は自己実現であるべき……みたいな繰言が載っているが、それがマルクス主義的言説だということに気付いているのだろうか。「仕事」という言葉の定義にもよるだろうとは思うけれども)、そうなると同人活動とかアマチュア活動とか呼ばれる活動を通して「自己実現」とやらを遂行するしかない。というか「自己実現」とは一体何を意味しているのか。このことがわからない。このマジックワードによって、ともすれば人は奴隷化されるのではないかとすら思う。昔もこの日記に自己実現について書いたような気がするが、そのときの日記を見るとかなり電波なことを書いていて意味不明だ。自己実現という言葉にとらわれるのが罠だ。もはやそれは明らかだ。自己実現など存在しないのだ。仕事が楽しい人と楽しくない人がいる。やりたいことをして金をもらっている人とそうでない人がいる。そういうはっきりとしたわけ方をしたほうが単純だし実情にも合っている。じゃあ私のRPGを作りたいと思う欲求は何に由来するのか。自己実現欲求でないとしたら。それはクリエイターになれない恨みと、オナニーをしたい気持ちと、日記を書くのと同じような何かを残したい欲求と、ゲームを評価されることによって得られるはずの承認への欲求とがブレンドされたものだろう。こう書くといかにも矮小だが、事実それ以上のものはないのではないだろうか。ところで何故RPGなのかといえば、イストワールというフリーゲームがあるのだが、これが世の中の全てのゲームの中で至高の存在で(と少なくとも私は思っている)あり、これに強い影響を受けたということと、またゲームという媒体は他のアマチュア媒体に比べて多くの人をひきつけられるだろうという予想に基づいている。とはいえフリーゲームも一時期ほどは人気がない。無料ではじめられる萌えネットゲームが沢山あるからだとされる。

■真木武志の『ヴィーナスの命題』読み終わった。感想は昨日の日記とほぼ変わらず。解説を綾辻行人とあと一人イタい文体のミステリ評論家とやらが書いているが、それを読んで分かることは、どうやら彼らはこの小説の青春成分を評価しているらしいというところだ。中二病的妄想に支えられたこの小説のセンスの良さを評価しているらしい。センス……ミステリオタクはどうしてこうも雰囲気重視なのだろうか。思えば森なんとかという「本格」ミステリ作家が売れているのはセンスの良い会話文がうけているからなのだそうだ。そういうセンスの良い会話文を気に入る人たちというのはどんな人なのだろう。かなり幼稚な精神性をもっているのではないだろうか。新本格ミステリには、本格的なミステリは実は少ない。読者をバカにしているのかと思えるような種明かしだらけだ。ほとんどキャラ萌えと推理小説的小道具の雰囲気だけが先行した、ラノベよりも幼稚な作品が多い。別に幼稚なのはかまわない。ミステリ業界がそういう幼稚さを自分で認めて引き受けているのならば。もしそうでないのならば、ラノベオタにミステリを薦めるとか啓蒙するとか言っている場合ではない。ミステリのほうが今や幼稚なのだから、認識を改めるべきだ。最近のミステリ小説には読むべきところがまるでないと思っている。だが、幼稚なミステリオタを揶揄した米澤穂信の『インシテミル』はなかなかよかった。別に本格ではなかったような気がするが、ミステリ界の内部で充足してしまっているミステリオタのどうしようもなさを描いた小説だったような気がする。多分。