hkmaroのブログ

読書の感想など

日記

今日は二日前に本屋で購入した真木武志の『ヴィーナスの命題』という小説を読み始めた。ラノベのコーナーに(ボーダーとはいえ)一般小説を置く本屋の試みに感心し、また帯に長門及び谷川流のコメントが載っていたので買った。まだあんまり読んでいないけれども、これは売れないだろうなと思った。まず出だしが全く読者に親切でない。文章をやさしくけなす言い方に「実験的」という形容詞をつける手法があるが、この小説の出だしはもはや実験的という言葉を使っても擁護できないほどに酷い。誰が何をどうしたのかさっぱり頭に入ってこない。例えるならば、ファンタジーものラノベの冒頭部分には必ず、初読では何のことを言っているのかわからないミステリアスなオープニング場面が書かれるのであるが、普通ラノベだとこれが2〜3ページで終わるのだが、この小説では数十ページ続くと考えてもらえれば大体あたっている。また、出だしのみならず文章全体に主語が省略されまくりなのもダメだ。何を勘違いしているのだ、と思う。売れなかったけれども隠れた名作だ、みたいな解説文が載っていたりするのだが、このようなウンコみたいな書き出しを持つ小説が傑作であるわけがない。書き出しをバカにしてはいけない。読者にとって手に取った本が面白いかどうかを判断できる唯一の材料が書き出し部分である。なぜなら本の途中のページから判断しようとしても、書いている側としては最初のほうのページに書いてあることを前提として受けつつ途中の部分を書いているので、そこだけ読んでもその本の本当の面白さを判断することは不可能だからだ。そうであるならば、文章を書くものはみな書き出しを大切にしなければならない。書き出しにレトリックとしてその本の最良の部分を持ってこなくてはならない。なぜレトリックなのかというと、例えば推理小説などは最後のどんでん返しが面白い小説もあり、出だしが毎度必ず話の筋として最良の部分であることはできないからだ。

とにかく、出だしには気合を入れるべきなのだ。作家にとって書き出し部分とは読者に対する本の紹介であり、広告である。本の紹介や広告に力を入れなかったら、中身のよい本も読んでもらえない。読んでもらえなかったら作家は廃業するしかない。作家が作家であるために、書き出しには絶対に力を入れなくてはならないのである。力を入れすぎて、いきおい意味不明な文章になってしまうこともあるが、むしろ多少意味不明なくらいが読者の注意を喚起しやすい。その意味で、ファンタジー系ライトノベルの意味不明な書き出しは悪くない。だが、この『ヴィーナスの命題』という本はダメだ。読者をバカにし腐っている。オナニーのやりすぎだ。俺のオナニーを見て気持ち悪いと思う奴は読むな! という作者の鼻息の荒い雄たけびが聞こえてきそうな文章だが、当然他人のオナニーは気持ち悪いので皆読まない。結果売れない。十年ぶりに新刊を出す予定があるそうだが、また同じような本を出すなら商業的には絶対に失敗するだろうし、中身が面白くても決して褒められはしない。このように本の書き出し部分への信頼性を損なう作家は出版業界全体の利益をも損なうだろうから、決して簡単に本の出版を許すべきではない。