hkmaroのブログ

読書の感想など

文学

昔書かれた名作(純)文学作品はちゃんと読むべきだと思う。しかし、これから先(純)文学作品は書くべきではない、というか書いてもあまり意味がない。なぜなら誰も読まないからだ。どんな小説も読者がいればこそだ。しかし脳タリンのウンコ野郎は「カフカみたいな作家もいるだろう」とか言うのだろうと思う。だが残念、カフカは一般に生きているころはほぼ無名だったとか思われているようだが、実はちゃんと生きているときから文学賞を受賞したりして立派に作家として認知されていたのである。売れ行きの悪い本もあったようだが、ちゃんと売れた本もある。似たような芸術家としてゴッホも引き合いに出されることがあるだろうと思うのだが、ゴッホ様は金持ちの弟から援助してもらって絵を描いていた貴族様なのであり、到底認めることはできない。死んだあとに絵の値段が高騰したところで、私にはそれは画商達のプロモーション能力が優れていただけとしか思えない。要するに本当に一から自分の力で作品を作ってそれで死んだあとにみとめられたりでも何でもいいけど作家として名を残して歴史的存在になった人などまずいないのである。今は凡人に見える何者かが(純)文学を追求して小説を書いても誰も読まない。これから先も彼が死んでも誰も読まない。なぜなら彼が凡人だから。しかも画商的存在は素人の小説には寄り付かない。

世のクリエーターは本当に憎い。楽して大金を儲けている人だとか、働かなくても金がある人なども憎い。働かなくても金があり、なおかつ趣味でクリエーターをしていて大金を得ている人間などもたまにいるが、こういう人と凡人の人生の落差をこそ問題にすべきだ。それ以外は何も問題ではない。それは別の言い方をすれば生まれながら幸せな人間と生まれながら不幸な人間がいるということで、それこそが問題なのだということだ。ルサンチマンを安易に禁止すべきではない。ルサンチマンによってこそ世の中の問題という問題は可視化することができるのだ。だから私は小谷野敦のブログが好きだし、一時期の本田透の本も好きだなのだ。中学生のころは大槻ケンヂが好きだったし、その大槻ケンヂが好んで使うフレーズは「この世の全てを憎む」である。しかし上に名前を挙げた三人も明らかにクリエーター層に属している。ゆえにその三人にすら私は怨念を飛ばさざるをえない。