hkmaroのブログ

読書の感想など

『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』読んだ

俺の妹がこんなに可愛いわけがない』を読んだ。出たばっかのころから売れていてアマゾンのランキング上位をマークしていた作品なわけであるが、かるがゆえにこそ手に取るのを避けていた作品でもあるし、作者の伏見つかさが以前書いていた小説がイマイチパッとしない小説であったために特に読む必要性を感じずに読まずにいたのであった。しかし、最近なんか『おもしろいらしい』という話を学生から聞いて読むことにした。読んでみた感じでは予想よりかなり良かった。なんというかラノベにしてはまともな小説だという気がした。最近のラノベはあまりにずさんな話が多くて一冊読み通すのにも大変な労力を要するのであるが、この小説は端々にみられるオタク的フレーズを勘案してもさして抵抗無く読み進めることができた。感覚的な説明をするならば、ダメなラノベは出来事A、B、C、……とそれぞれぶつ切りにシーンが展開するが(その原因はなんら必然性のないネットスラングの使用だったりする)、今作のようなまともなラノベはA→B→C→……と、話の流れを納得しつつ読むことができる。しかし、あまりに図式的で古い設定はやめたほうがよかったのではないか。あ、オタは結構保守的だから古いものを反復して摂取することができるのか。だからこの小説は売れたのか。

面白かった点としては、この作品がメタラノベ的要素を組み込んでいるところ。主人公がエロゲーをプレイするシーンがあるのだが、その作品がまるでよくあるラノベ(エロゲー)を戯画化したような物語設定を持っている。この場面をみるにつけても図式的な人物配置はかなり意図的なものだろう。もう一つ注目すべき点は、この小説が思弁小説であるというところだ。しかもオタクがオタクであることを世間に向けてどう正当化するか(ないし折り合いをつけるか)が問題になっているという点で、やはり他ならぬオタク自身に向けた思弁小説だ。

しかしこの小説を読んで今回一番考えさせられたのは、ラノベにおける担当編集者の役割である。明示的に担当編集者の三木が何をどうしたと書いてあるわけではないのだが(打ち合わせを何回もやったとか、アイデアを出してもらったとは書いてある)、以前私が読んで面白いと感じた『アクセル・ワールド』の担当編集者もたしか三木という名前の人だ。どちらもかなり売れている作品であり、いわばヒットメーカーであり、プロデューサーあるいはディレクターの立場にいる。私の趣味にもおそらくそこそこ合う作品を世に送り出す編集者だろうと推測するので、今度は同じ三木氏が担当したまた別のラノベを読んでみたいと思うのだが、書籍には普通担当編集者を記す欄が設けられていないので困った……とか思っていたら、必ずあとがきに担当編集者に対する謝辞が述べられていることに気付いた。これが編集者のクレジットみたいなものであり、作家に名前を言わせる権力の表れでもある。ところで編集者の役割であるが、ラノベ業界においてはマンガ業界みたいに担当編集者の権力が強力だと勝手に思っているのだが、そうすると作家が考えた話ではなくて編集が考えた話みたいになって、もうほとんど編集者を軸にラノベを拾い読みしたほうがいいのではないかと思えてきた。どうせラノベ作家なんて放っておいたら2ちゃん用語やらネットスラングやら時事おもしろ炎上ネタを小説にバンバン入れて物語を腐らせてしまう奴らばっかりなのだ。編集者が強権を奮ってもなんら不自然ではない。それが正当だ。