hkmaroのブログ

読書の感想など

押切蓮介の『ピコピコ少年』を読んだ

押切蓮介の『ピコピコ少年』を読んだが、これは大学時代の後輩が私の誕生日にとくれたものだ。友人関係は誰も誕生日など知らないだろうと思っていたのでうれしかった。

ところでこのマンガはゲームウォッチから始まる、ファミコン世代のゲームの思い出話を描いたマンガだ。私も作者とは世代的に近いところにいるのでとても懐かしい気持ちになった。とくにゲームボーイの魔界塔士Sa・Gaとかあやかしの城の話とかは昔を思い出してもう一度やりたくなった。秘密基地でゲームボーイをやるとかゲームごっこをするとかいうくだりも良い。しかし十代からプロのマンガ家として活動しているこの作者には、それ以降の収入の大きさとか生活ぶりとか人生の充実度が全く違うだろうから、簡単に感情移入することはできない。有名なホラー映画の監督と仲良くなったり、マンガ家仲間で音楽ユニットを組んだり、まさに人生の勝ち組としか思えないクリエーターぶりだ。個人的には怨念が邪魔をして素直には読めなかった。とかいうことを言うと私のケツの穴が小さいだけかもしれないが、どうしようもないことだ。

リエーター層は色々な職業があるなかでも優れて社会の上層に位置する人々である。単純に稼ぐ金の数で言ったらもっと地位の高い人々が存在しているが、人々の憧れ度合いだとか仕事のやりがい具合とかを勘案したら明らかに単純な金持ちよりも上層に位置している。小谷野敦が『文学研究という不幸』で書いていたが、文学を研究している学者はみんな本当は作家になりたかった人たちばっかりなのだそうだ。それと同じように、娯楽や芸術の愛好者は大抵の人が本当はクリエーターになりたかったに違いない。クリエーターの影響力は甚大である。例えば昼間は仕事をしている人でも家に帰ればテレビを見るし、音楽を聴くし、休日は映画をみるし、本を読み、あるいはコンピューターゲームをする。どんな人でも多かれ少なかれクリエーターの提供する娯楽や芸術に触れている。しかし今の時代ほどクリエーターが重要である時代はなかったのではないかと思う。大昔には本を読む人間のほうが少なかったのであり、クリエーター層(つまり作家)というのはほとんどが学者みたいなものだったのではないかと思う。本を書いたり読んだりする人というのは、まあ社会の上層にいることには間違いないが、しかし極めて限定された特殊な人々で、今の時代ほど名声があまねく広まる存在ではなかったはずだ。ではなぜ現代においてはこれほどクリエーターであることはステータスとなりうるのか。それはやっぱり仕事そのものに人生をかけられるからだろう。過去との対比で言えば創作一筋で身を立てられる人というのはむしろ現代より少なかったはずで、何か別の仕事をしながら小説を書いたり、金持ちの援助を受けつつ芸術活動をしたりしていたのだと思う(つまり職人としてパトロンの機嫌をとりつつでなければ創作できない)。現代社会において大抵の人は人生の大部分をやりたくない仕事をし、余った時間に消費者として振舞いながら生きている。それなのにクリエーター層はやりたいことをして(しばしばリッチな)生活をしている。またクリエーターはメディアに登場する。何か偉大な発明をしたりするよりもはるかに大きな名声を得られるかもしれない。そもそもクリエーターが作るものがすでに何らかのメディアである。メディアに関わる仕事をしている人は全て「権力者」でもある。先述したとおり、現代を生きる全ての人がいずれかの場所でクリエーターの作品に触れているはずだからだ。全ての人が、というのがポイントで、これは広告が絡んでいるから起こる事態である。テレビや雑誌が典型例だが、もちろんコンピューターゲームなんかは広告媒体ではないけれども、ゲームのディレクターやデザイナーは広告媒体に関わる作家たちとの相似関係で捉えられる。具体的に言えばメディアに登場し、崇拝され、作家性を期待される。一般にクリエーターと言ったら知的な創作活動に従事する人々を指す。なぜかと言えば、彼らがメディアに携わるからである。他にも自分がしたいことだけをやって生きている人はいるだろう(農業が死ぬほど好きで農業をやっている人もいるはずだ)。しかしそういった人々がクリエーターだと思われていないのは、クリエーターが単なる生産者ではなく知的な生産者であることに起因する。

私も人一倍娯楽や芸術などの創作物を消費するのが好きな人間なのでこういうブログを書いたりしているが、それらの影響力を人一倍受けるからこそ、それに比例して本当はクリエーターになりたかったわけであり、そうなるとまたそれに正比例してクリエーター達への怨念は強烈になっていく。そうするとただ単に憧れや尊敬の対象としてのクリエーターの数よりも憎しみの対象としてのクリエーターの数のほうが年々増えていくわけで、私の趣味はどんどん偏屈になっていく。多くの作家をボロクソにけなしたいという欲望に満ち溢れている。私のこの邪悪なエネルギーが、いつか世の作家たちの誰かに命中して、彼を絶望させ、また私と同じような立場の人間たち(つまり消費者)への謝罪の言葉を吐かせることを願っています。

今日の晩飯は上野の王将で食ったが、店の前に立ってた店員のババアが、ちょっとメニューを見に来ただけの私を勝手にお客様認定して「お客様一名様ご来店でーす」などとほざいたので腹が立ったが、結局王将で餃子とライス大盛りを食った。ババアの態度がムカついて仕方がなかったので、食っている最中にこぼれた水や醤油は極力放置するという小さな反抗を試みた。王将の餃子はクソまずいしで、ふんだりけったりだ。二度と王将には行かぬ。