hkmaroのブログ

読書の感想など

ゴスロリ処刑人観た

昨日渋谷のシアターNで『ゴスロリ処刑人』を観た。内容はくだらないパロディとか中身のない台詞とか尺の引き伸ばしとかに溢れたいかにもなB級映画であった。しかしあの衣装とか特殊効果とか頑張って作っている人たちがいるのだと思うとなかなか酷評する気にもならない。もうちょっと物語の背景を説明する台詞を増やしてもよかったんじゃないか。あとシアターNってのははじめていく映画館だったけどもかなり狭い。大学の教室とかでの上映会のほうがはるかに環境が良い。下手をすると、他の客がいない分ちょっと凝ったAVマニアの部屋のほうが良い位かもしれない(ああいうマニア向けの映画館にはエキセントリックな客が多い気がする。まーそのかわりDQNは少ないけれども)。消費者側の心理としては、大資本の運営してる映画館と同じ値段をとるのは詐欺に近いと感じる。だがそれも優勝劣敗の資本主義経済の元では仕方のないことだ。みすず書房の本の値段がボッタクリ価格なのと一緒であろう。

その後上野のツタヤに行って『ミザリー』と『レスラー』と『ピンクリボン』を借りて観た。『ミザリー』はハンマーで足を折るシーンが一番印象に残る。『レスラー』は名作だった。娯楽産業は金儲けを目的として存在しているが、しかしその娯楽産業の作り出したエンターテイメントで金儲け度外視の人生を送らざるを得なくなる人々が多数いる。その意味で『ピンクリボン』に出てくる黒沢清の言葉とも繋がってくる。映画が、金儲け度外視で(つまりやりがいの搾取みたいな構造のもとで)働く若者たちを沢山生み出していることによって、その力で映画は成り立っているけれども、同時にそれは不健全なあり方でもある。まあ、『レスラー』にはそれ以外のテーマも沢山盛り込まれているように思うが、一番よかったのは映画全体に諦念が漂っているところだ。プロレスをやめてうまく金儲けに成功しているやつもいるが、主人公は絶対にそういう生き方はできない。家族と仲直りもできないし、恋人も作れないし、もちろんプロレス以外に良い仕事があるわけでもない。現実世界にはどこにも良い事がない。結局プロレスしかやれない。

しかし、見方を変えればこのつぶしのきかなさが人生に固有性を与えるのだから、決して『レスラー』のランディの生き方は(絶望的だけど)悪いものじゃないと思う。やりたいことしかできない人間はきっと世の中には多数いる。そういう人でも生きていける世の中にしないといけない。あるいはそういう人でも自然に社会に存在する上での義務を遂行できるような仕組みを作らないといけない。それ以外の一般人は都合の良いときだけ「やりたいことだけやっている人」の仕事の成果を使用しておきながら、社会人としての義務を果たしてない等と言ってそういう人々を切り捨てることはできないはずだ。もしそれを言うなら映画などその他娯楽産業一般や芸術や学問の成果を一切使用・閲覧してはならないだろう。なぜなら金儲け度外視で借金までしてやりたい仕事をする人々によって、それらの業界は構造的に支えられているのだから。つまり、大作エンタメ映画を観ておきながら映画で食えてない若者に自助努力が足りないとはいえないということだ。大作になればなるほど、普段ほぼ無償で映画の仕事をやっているような人々もその大作映画に関わる度合いが増えるのだから。