hkmaroのブログ

読書の感想など

大里俊晴先生について

ふと思いついて大里俊晴先生についてネットで検索してみたら、昨年の十一月に亡くなられていたということを知った。と言っても、大里先生とは私は何か人間的なつながりがある訳ではない。学生時代に芸術論の授業を聞いていただけだ。大里先生の授業は毎回現代音楽のCDやレコードを聞いて音楽と非音楽の境界を探り、学生達の音楽(特にポピュラーミュージック)に対する理解の枠組みを破壊していくという、極めて刺激的で緊張間のある講義だった。あるとき、たしかノイズミュージックを聞いた次の回の講義で、学生が書いた前回の授業の感想を先生が読み上げた事がある。

前回の感想に最高なものがありました。「私はあれを音楽とは認めません。先生がなんと言おうとあれは音楽ではありません」とあるけれども、これを書いた○年生の○さん、では音楽の定義ってなんですか? 前回聞いたものを音楽ではないと断言するあなたには、明確に音楽の定義ができるはずですね? さあどうぞ。是非聞かせて下さい。どうぞ。


勿論当てられた学生は答えられなかった。その時は少々大人げないやり方だと思ったが、今にして思えば見当違いをしているバカな学生にも授業に出ている限り徹底して教えるという誠実な態度だったと思う。私が授業に取っていた期間中、先生がタバコを吸い始めた。横国での喫煙規制を始めとする、「禁煙者にあらざれば人にあらず」的な風潮に腹が立つためだと言っていた。しかしそのセメスターの終わり頃、先生が癌になったという話を聞いた。評価の方法は試験ではなくレポートだったので、課題を提出してそれっきりしばらく姿をみることはなかったのだけれども、ある日中原昌也との対談が池袋のジュンク堂で催されるとの情報を得て見に行った。その時現れた大里先生はすでにガリガリに痩せていて非常に痛ましい気持ちになったことを憶えている。丁度当時大里先生の師匠である塚原先生の授業も取っていて、その対談イベントを見に行ったことなどを伝えた。「イベントのことをレポートに書いてもいいですか?」と聞いたら、是非どうぞ、と言ってもらえたけれども結局かけなかった。対談では延々とシャンソンの話をしていて、シャンソンのことが全くわからない私にはレポートの書きようがなかったのだ。塚原先生も大里先生のことを心配していた。全くの他人ではあるものの、私も先生の容態が気になってしばらくはネットに何か書かれたりしないかと注意していたが、働き出したらもう一年も前に亡くなっていたことにも気付かない。今さらではあるが、先生の書いた本を読んでみようと思う。