hkmaroのブログ

読書の感想など

ルー=ガルーみたけど死ぬほどクソでひっくり返った

とにかくルー=ガルーというアニメ映画はクソだ。とにかくクソだ。びっくりするほどクソだ。

まず話の筋が支離滅裂というのは当然のこととして、作画がどうとか音響がどうとか、そのへんも私はよくわからないが分かる人からすればクソらしいというのも一応当然のこととして、もっともクソだったというかポイントなのは、そのクソさ自体ではなくて、この映画の題材というか台詞回しから何までが徹底して有り物のパッチワークで構成されているにも関わらずクソだということがすごいのだ。今の時代アニメでこうしたパッチワーク的手法で作られた作品は珍しくもなんともなく、むしろいかによくできたパッチワークを作れるのかというのが優秀なアニメ作品の条件といっても過言ではないくらいだろうと思うのだが、パッチワークというのはかなりオブラートに包んだ表現の仕方で、昨今のアニメはそもそもパクリパクリの連続であり、パクリの技術の進歩そのものであり、パクルからにはオリジナルより見劣りはするかもしれないが才能の無い人が一から作るものに比べたらある程度のクオリティをパクられた各要素においては維持しているのが普通なのであるが(場合によってはパクリ元を超えてしまうこともあるだろう)、それにも関わらずルー=ガルーにおいては映画の端から端までパクリすらうまく機能していない。パクリが下手とかそういう問題ではないだろう。パクリはパクリなのだから、オリジナルを忠実にパクっていればそれなりのものはできる。パクリが下手っていう事態が起こりうるのは、そこに自分オリジナルの要素を加えようとするからであって、そうなってくると「模倣は創造の母」とかなんとかいう言葉があるようにもはやパクリではなくなるから、パクルことによってクオリティが下がるということはありえないのであるが、ではなぜこの映画においてパクリが上手く機能していないのかというと、ことごとく場面場面が、台詞の片言半句が、あまりにも文脈を無視してむき出しに唐突に登場するから観客は一瞬パクリをパクリとすら認識できないほどに圧倒的な無数のパクリを怒涛のように体験する。意味ありげなカット、思わせぶりな台詞、定型的な演技、全てに中身(物語上の意味と必然性)が欠けていて、全てがどっかでみたことのある映像であるが、そのどっかでみたことのあるものをつなぐ何かが存在していない。

この作品と同じようにパクリや引用やサンプリングで構成されたアニメ作品はすでに述べたように無数に存在していて、それらがパクリの諸要素を何によって糊付けしていたのかというと、例えばある程度一貫した物語であるとか、キャラクターの力によってであったのだが、このルー=ガルーにはキャラクターも物語もない。しかもパクリ単位ですらもパクリ切っていない感じがする。このパクリ切っていない感じは観客に不全感を引き起こす。派手な格闘が起こって欲しいところで起こらない。感情のぶつかり合いが起こって欲しいところで起こらない。説明的な台詞が欲しいところで入らない。この煮え切らない感じは、パクリ切っていないこと、いわばパクリの忍耐力に乏しいことに加えて、どの作品のどの場面からパクルのかというセンスにも乏しいことが理由である。例えば、この映画の場面場面はあまりにも陳腐、というよりも古くて思わず苦笑する。このアニメのスタッフはおそらく実写映画どころかアニメすらろくに観ていないのではないかと推測する。

やっぱり若いときに沢山の作品を浴びるように経験するということはあらゆる分野の作家において必要な基礎作りなのだろうと思われる。それにつなげて言えば、最近違法コピーをアホのように批判する「クリエイター」様や「アーチスト」様が多いが、彼らの同世代の作家たちも若くて金のない時代には友人からかりたCDをテープに落としたりとか、本を貸し交換して共有したりとか、海賊版を買ってみたりとか、ビデオテープをダビングして自分のビデオライブラリーを作ったりとか、中古のCDを安く買って集めたりとかしたはずだし、それをしていない作家は今日の論点を踏まえれば必然的にパクリすらろくにできないクソ作家であることが明らかなので、違法コピー批判は自分たちの首をしめる行為に他ならない。パクリもできないクソ作家が増えれば必然的に市場の縮小、シーンの沈静化をもたらし、その結果自分たちの客も業界から離れていく。パクリをきちんとできる作家をこそ保護せねばならない時代なのだ、今は。わざわざそのような迂遠な道のりを歩まねばならないのは、ひとえに上の世代の人々が若者を啓蒙する態度を示さなかったからだ。我々は決してルー=ガルーを観に来て「まあまあなんとなく面白かったんじゃないかな」と言ってしまうような中高生とか大学生とかを一方的に批判すべきではない。それはある意味我々も悪いのであって、彼らが全面的にアホだというわけではないのだから。

今我々にできる最良のことは、歴史の編纂だ。若者が安心してみられるアニメや安心して読めるマンガや安心して聴ける音楽を、教科書を作るように紹介してやらねばならない。それに必要なのは権威だ。しかしこういうサブカルチャーの分野で最も権威を持ちうるのは実作者だ。そうした教育事業に本気で危機感をもって取り組むベテラン作家が数多く登場しなければ、今後もルー=ガルーみたいな悶絶もののクソアニメは量産されるだろうし、その被害をこうむる人々は多数にのぼるであろうと思われる。公害アニメ、ルー=ガルーは即刻上映を打ち切られるべきである。