hkmaroのブログ

読書の感想など

日記

今日は仕事帰りに本屋に寄ったので買ったものを書こうと思う。

・ゲームラボ八月号
・宮本から君へ1巻
・世界史の構造 柄谷行人
ニューロマンサー

以上の四冊を買った。ニューロマンサーは中学生のときに一回読んだけど何が何だかわからず苦痛だった。しかし、確か主人公が好きな女が二人いて古い女(振られた)と新しい女がいるという話だったように思うんだけれども、主人公が死ぬ間際?に古い女のほうを思い出すシーンが非常に印象に残っている。なんというかこれが人のサガか、みたいな。そういうメロドラマ的な部分しか思い出せないので、私はどっちかというとSF的なガジェエットには興味がなかったのだろうし、今日もやっぱり興味がない。SFの思考実験的な部分は面白いと思うのだけれども、なんかわくわくするようなSF的小道具というのにはドラえもんの秘密道具以外についぞ出会ったことが無い。なのでSF的な方面にいかずにマンガばっかりを読む頭の悪い高校生へと進級した。だが高校生のころはマンガばっかり読んでいてもバンドもやっていたし友達とも頻繁に会って毎日サロン的な談義を交わしていたし、精神的には非常に充実した日々を送っていた。高校はクソだったけれども高校時代は楽しかったと今にしてみれば認めざるを得ない。高校を卒業した先にも明るい未来が待っていると漠然と信じていて、今みたいな転落しきった未来があるとは全然想像だにしなかったのだからお笑いを通り越して非常に深刻なバカだ。その後深刻なバカは受験を迎えて東京大学への進学を夢見るが、バカなのでやっぱり落第して一年間の浪人生活を送ることになる。浪人生活の時期が私の人生のピークである。非常に内省的な時期で、ひたすら机の上でノートとペンを走らせていた。受験勉強だけではなく、物語を創作したりマンガを書いたり一人旅をしたり数学の問題を解いたりした。数式が夢に出てきて、それが様々なエレキギターの音に変換されるという共感覚的でサイケデリックな夢をよくみた。私は一人の哲学者であり芸術家でもあった。その後東京大学には二度目の落第を喫し、手ごろな三流私立大学に進学したあとは堕落の一途を辿った。ラノベしか読まなくなったのである。私は徹底したバカになった。あまりにバカすぎて、ラノベオタであるにも関わらずテニサー構成員的なオーラを放っていたように思う(そのように指摘されたことが数回ある)。尚誤解を解くために言うと、テニスサークルにはチャラチャラしたチャラオとかイケメンとかヤリマンとか美人な女子とかばっかりがいるわけではなく、汚くて臭いオタクとか汚くて臭いチャラオとかデブとかハゲとかブスとか処女とかも普通に存在している。と思う。少なくとも余人が思うほどに固定した層ではない。オタクデブ構成員は、その他の構成員に「デブ」「キモイ」などとバカにされつつもそれでキャラを確立して集団に溶け込んでいる。実はこれはいじってもらっているのであって、決してバカにされているのではないのだ。「ヤメロヨー」などと腹の胸の贅肉をぶるんぶるん揺らして慷慨してみるところが「可愛」くもある、などと中堅レベルの女子構成員に評価されて付き合いはじめたりなどすることもあるだろうと思う。とまあ話が逸れたがそういうキモカワキャラの地位こそ獲得できなかったものの、単位の取れない計り知れないバカというキャラクター付けには成功し、ある種のラノベソムリエとして当時ヌルオタへの普及度の低かったマリみてなどを周囲に布教して集団での地位をある程度確立した。バカにも生きる道があったのである。その後その時期とは断絶があり、私は急に大江健三郎の小説を読み始めるようになる。大江健三郎の小説を読めばバカを脱却して頭の良い人になれるだろうと思ったからだ。まあ今から考えてみればそれは非常にビッグなミステイクだったのであるが、そのときは気付くことも無く大江健三郎やサドやカフカなどを読んだ。ちなみに今の私は左に挙げたような作家をいい年こいて読んでいる文学青年気取りの人間たちの放言にはウンコを食わせてやりたい気分になる。じゃあ今は何が良いのか、何がレコメンドでアツいのかというと、それが無くて今困っている。が、強いて言うなら絶望することだよね。どんな本を読むより強烈な体験が得られる。生きている意味を真剣に疑問に思うというまれな体験。自分以外の人間がバカというか能天気というか幸せな人間に見えてきて、道行く人全てにドロップキックをかましたくなるような怨嗟の念というものを念じることができるようになる。