hkmaroのブログ

読書の感想など

日記

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今日はバンドの練習に行ってきた。
秋葉原のスタジオNODE。

ところで私の職場は音楽業界関連の職場であり、職場に楽器とかを持っていこうものなら「バンドやってんの? いつライブやんの? 見に行っていい?」とかなんとか質問されることになる。で、もし仮に職場の人がライブを見に来たとしたら、私がやっているバンドのバンド名が明らかになってしまう。そうすると、当然そのバンド名で検索してみたりする人も中には居るだろうと思う。そうすると、ネット上のリンクをめぐり巡って私のこのブログにたどり着くこともありうる。そうするとかなりまずいことになる。なぜなら、私はこのブログでさんざん職場の愚痴めいたことを書いているからであり、もっと悪いことには同じハンドルネームでツイッターもやっているのだけど、そっちは特に愚痴専用のツイッターアカウントとなってしまっていて、もしもそれらの愚痴をみられようものなら社内に不穏な空気が漂い始め、ついには社長じきじきに私を社長室に呼び出して、神妙な面持ちで馘首宣告を甘んじて受け入れなけらばならないという事態に陥りかねない、どころか陥る。確実に。

であるから、なろうことならバンドとこのブログとのつながりは極力切断しておきたいところなのだが、そういうわけにも行かないのは、もう最近日記に書くことといったらバンドのことくらいしかないからである。じゃあ日記を書くのをやめろ、という反論も可能なのであるが、今の時代ブログを毎日つけることもせずに生きていくのは新時代のネット社会に対応できなくなる危険を惹起しうる誠に怠惰な姿勢といわざるを得ないのであって、そういうわけでバンドのことでも書くしかない。それに、このブログは日常生活において私が所謂「本音(と自分で思える心の一領域)」を吐露できる数少ない場所だから、思ったことは何でも書かないと意味が無い。近頃は生来の怠惰さのせいでブログをあんまし更新していなかったが、これからは鬼のような勢いでウンチみたいにくだらないことを書きなぐっていこうと思う。

最近はこう考えている。すなわち、ブログのアカウントとかミクシィのアカウントとか、ツイッターのアカウントとか、何でもよいが、それらのアカウントとして存在するということは自分自身が一つのメディアになっているということを現代では意味するのではないかと妄想している。例えばいまどき携帯で写真も動画も音声も何もかも撮/録れる。文章だってもちろん書ける。それを携帯からパソコンを経由してyoutubeとかにアップし、ブログにはそのリンクを貼ればマルチメディアな情報発信基地になる。アイフォンであればユーストで生放送もできる。そのアカウントが「NODE」として発信した情報に価値があるかないかは関係がない。誰の目には何がどう見えた、聞こえた、ということが記録としてネット上に膨大な量で残っていくということに意味があると思う。また一つのアカウントができるだけ継続的に記録を残していくということそれ自体にも意味があるだろう。なぜなら「誰の」発言なのかという部分、すなわちアカウントのプロフィールが明確になるからだ。