hkmaroのブログ

読書の感想など

日記

★今日も一日特筆すべきことは何も起こらなかった。いや本当は世の中毎日いろんな人が働いているんだし、偉い人はきっと毎日偉業を達成し続けているだろうし、悪いこともそれと同じかそれ以上に起こっているのだろうから、がんばってそれらのことを調べてブログにそれについて思ったことを綴る、というようなことをしても良いのだが、というか真面目な市民であればそうするべきなのだろうけれども、そういう気にはならない。なぜなら私がいまだに餓鬼だからであろう。餓鬼でない大人は自分の境遇を髪の毛から足の爪まで受け入れられるものなのだろうと思う。受け入れた上で、自分の境遇を良くしてくれるものは結局善良な市民としての真面目な行動でしかないということに気づくのだろうと思う。しかしながら私はこの世に生まれるにあたって日本に生まれることだとか、自分の親から生まれることだとか、このような性格として育つことなどに同意した覚えはない。その辺に不条理があると感じられる。……などと考えてしまうところが端的に餓鬼的な考え方なのだろう。なぜなら不同意のまま現在の自分の状況が組み立てられてしまったとしても、それを覆すことは不可能だからだ。プラグマティックに考えれば、現在の状況を少しでも有利な方向へ動かすために、ほかならぬ現在の状況から努力を始めなければならない。不細工に生まれたのであれば、その自分の特徴を肝に銘じて、不細工という条件下において可能な限り美人で気立ての良い嫁をもらえばよい。その嫁はもちろん、イケメンが可能な限り努力してゲットする美人で気立ての良い嫁に比べれば見劣りするかもしれない。しかし不細工は不細工で最大限の努力をしたのだから、それが不細工にゆるされた最高の結果なのである。もしかしたら、イケメンであることにあぐらをかいて努力しなかった人間よりも良い嫁をもらうことができるかもしれない。その潜在的能力においてイケメンに敵わなかったとしても、現実の嫁においては勝利することが、もしかしたらできるかもしれないのだ。……などということを述べてみても、話はまるでうさぎと亀の競争の話から一歩もすすんでいない。文字通り私の脳みそは餓鬼のままだったというわけだ。

★木曜ともなると、「もうすぐ金曜日」的な雰囲気がなんとなくそこら中に満ちてくるように感じる。街中で週末の予定をアレコレするために携帯をいじっている彼ら彼女らにとっては、土日こそが真に生きている時間なのかもしれない。もちろん、会社での仕事にやりがいを感じている人もいるだろう、というか、おそらく大半の仕事をもつ社会人は、仕事にそれなりにやりがいを見出していると思う。それが適応の結果なのか、仕事そのものがもつ性質に由来するのか、私にはわからないが、すくなくとも言えることは、会社での仕事を完全に受動的な苦痛だと感じているわけではなくむしろ積極的に達成したい対象と考えることもあるにもかかわらず、休日での生活のほうが本当の自分に戻れていると感じる人が多い(多分)ということだ。一見矛盾しているように思える。ここに、「平日は「やりがい」をあてにした搾取の餌食になり、休日は「本当の自分」に戻れるかのような気分を与えてくれるガス抜きのための消費財による搾取の餌食になってしまうという、資本主義の二重の搾取」を見出すこともできるのであるが、そのように捉えると本質を見誤るような気がする。仕事にもそれなりに真面目にやりがいをもって取り組んで、でも休日がくると平日の仕事で抑圧された分の欲求を開放しようとする。仕事にやりがいがあるのであれば、つまり好きでやっているのであれば、気分転換程度の休憩があればいいはずで、基本的に毎日仕事でもかまわないはずだ。ところがそういうわけではないらしい。思うに彼ら彼女らは、自分の人生を絵でも描くかのように考えているのだろう。○○大学を卒業し、○○の仕事を三年経験して技術を得、さらなるステップアップのために○○に転職し、しかるのちにフリー、その後クリエイター集団○○を旗揚げし、現在にいたる。みたいな経歴書を書きたいのではなかろうか。彼ら彼女らの「本当の自分」はその経歴書の中にこそあるんではないか。実際の人生はなかなか未来の経歴書通りにはいかないので、そこに生まれる無理を、休日のガス抜きによって押さえ込んだり、あるいは休日の時間を使って現実とのズレを修正したりするのではなかろうか。そうした態度は経歴書に過剰に意味を読み取るところからくると思う。キャリアプランを考えたときに人は真面目に就職活動をするようになる。キャリアプランは自分の人生の意味の側面と、得られる収入つまり「物理的」な側面の両面が密接に絡んだ物語だ。どっちか片方の側面だけを取り出すことはできない。収入拡大のための自己啓発が、より収入の良い職業を過剰に意味づけし、キャリアへの欲望を駆り立てるのではないだろうか。はっきり言ってそういうものは全部クソなのでさっさと死滅してほしい。人に迷惑をかけるから。資格なんていう擬制・囲い込みによって迷惑をこうむる人がいる。内的なところから人生の価値を汲み取るようにしなければ人間はお終いだ。それが無理なら神から人生の価値を得ればよい。