hkmaroのブログ

読書の感想など

日記

★職場の近くにはとある大きな大学があって、学生目当ての安い弁当屋がいくつかある。これらの弁当屋のうち、最近特定の店舗というものを持たず、普通の民家の軒先にイスとテーブルを出して、その上に弁当を並べただけの、露天風の弁当屋が目立つようになった。そのうち一軒に今日は行ってみた。

五十台後半と見えるオッサンがひとりで店番をしている。私が弁当を買うと、オッサンは話しかけてきた。

「いやー今日は暑いねえ。ほんとに暑い。世の中不景気だし。不景気だよ。全く職がない。全くない。職がないからこうして弁当売ってんだから」

天気の話から景気の話、景気の話から割と深刻目な身の上話へとあっというまに展開し、返す言葉につまった私は、

「でも弁当安いじゃないっすか。助かりますよ」

と答えた。すると、

「いやー、前はもっと安かったんだけどね、月十万も赤字になってね。参ったよ」

と小声で教えてくれた。

職がないから弁当を売る、というオッサンの生き方は、人の心を軽やかにしてくれるように思う。人生なんでもありだ。職がなくなったら弁当を売ればよい。売る場所は自分ちの前でよい。売る場所がなければ行商すればよい。元手がないならコンビニ弁当に百円を上乗せして売ればよい。コンビニ弁当も買えなければ警官に保護してもらったほうがいいかもしれないが。

佐藤優(AV女優じゃないほう)の獄中記を読んでいるが、本に書いてあることを信じるならば、佐藤優は非常に語学の才能のある人間だ。英語ドイツ語ロシア語朝鮮語チェコ語ラテン語ギリシャ語ヘブライ語など、沢山の言語を読むことができるらしい。外交官として働いていたら自然に身に付くのだろうか。そういうもんでもないのだろうか。こういう人間がいるとなると、私のようなアタマの悪い人間が生きている意味はあるのだろうかと考え込んでしまう。もちろん人生に意味などないのだが、ここにいう意味とは、社会の分業関係の中で与えられる役割のことだ。大役を与えられ見事に仕事をこなす人がいる一方、その一万分の一も社会に利益をもたらさない人間(つまり私)がいる。こういう事実をつきつけられると、何かをがんばって成し遂げようという気持ちがそがれる。がんばっても英語一つ身に付かないんだから。

がんばることをやめるならば、あとは動物としての生理的欲求の奴隷となって、死ぬまで暇つぶしをするしかない。それはそれでそこそこ楽しいかもしれないが、何ものこらない人生だ。何ものこらないことを受け入れつつ死ぬならば、それは動物として死んでいるということだ。