hkmaroのブログ

読書の感想など

14歳からの社会学

『14歳からの社会学』を読んだが、ちょっと矛盾してるんじゃないかという風に読めてしまう点がある。
まず行為功利主義と規則功利主義の対立がある。前者は自分の実質上の利益をルールよりも重視する立場であり、日本社会が一つにまとまってた昔は、そういう振る舞いをしてもほとんど誰も損しなかった。自分の得になるように、ちょっと厳しすぎて実社会に合ってないと思えるルールを破っても、他の人も自分と同じような立場なんだから、皆にとって実際に得になる、というわけだ。しかし、現代は何が誰の利益になるのかという基準が分裂してしまっている。ゆえに、より多くの人間に利益を与えられるグッドなルールを作って守ろう、という規則功利主義を現代では取るべきだ、と述べてある。
じゃあそのルールをどうやって作るのかというと、社会全体を見渡して、別々の価値の基準を持つ集団同士を把握し、より多くの人間がそれなりに幸せになれるような、最適の利益の配分を実現するようなルールを作れるスーパーエリートを育て、階級社会を実現するしかない、という感じだ。
だが、これが教育の話になってくると一貫しなくなってくる。教育で一番大事なのは何かに感染することで、感染は何か予想外でスゴイ振る舞いをしている人に触れることによって起こる。感染元になるようなスゴイ人は、大体ルールを守らなかったりする。ゆえに、規則功利主義を墨守してスゴイ人を生み出しにくくなってる教育はダメダメだ、みたいな。
宮台真司の著作にはたまにこういう撞着がはらまれていて、それも彼の魅力の一つだという気がする。その撞着こそが、感染を生み出している、というように宮台風の言い方で表現できるだろう。大抵こういう撞着は、彼自身の人生経験に照らして何かを述べるときに起こる。理論は一貫性を求めているのに、彼自身が重視する、経験に裏打ちされた発言が矛盾をはらんでしまうというのは皮肉だなと思ってしまう。
しかし、上のような感想を抱くのは私がアホ過ぎてちゃんと文意をとれていないからなのかもしれない。二十五にもなって十四歳向けに書かれた本を理解できないのは、地獄じみた体験だ。